(画像をクリックすると大きくなります) << 西出丸駐車場−→梅坂−→綾瀬はるかさんのサクラ−→鐘撞堂−→管理事務所−→ −→武者走り−→鶴ヶ城稲荷神社−→本丸埋門−→廊下橋 >> ● 西出丸駐車場到着。 ● 梅坂を登っていきます。 ● 梅坂を登るとサクラの木が沢山植えてあります。 綾瀬はるかさんのメッセージ この桜は福島の復興の象徴として、みなさんの思いが未来へ大きく羽ばたいていくような思い も込めて「はるか」と命名した桜です。 復興への願い復興に励まれる福島のみなさんの生活、夢や希望に満ち溢れた子どのたちの 成長を、この鶴ヶ城っから八重さんと一緒にいつまでも見守っていて下さい。 そして、子どもたちの成長とともにいつか立派な花を咲かせ、入学式や入社式など新たな門 出を迎えたみなさんを祝福して下さい。 福島の復興、みなさんの思いが実を結びます様に、心より祈念しております。 平成25年12月4日 綾瀬はるか ● 鐘撞堂(かねつきどう) 時守を置いて昼夜時刻を城下に報じていた堂で、その鐘は延享4年(1747年)若松の鋳工早山掃 部介安次(そうやまかもんのすけやすつぐ)の作として知られ、鐘の撞き方は江戸流であった。 戊辰の役(1868年)では、ここに新政府軍の砲火が集中し、時守が相ついで斃れたが、開城の間 際かで正確に時を報じ、大いに味方の士気を鼓舞した。 * (目の前に天守閣が)・・・(登ってきた梅坂方面) ● 管理事務所・喫茶コーナー ● 武者走り この石垣は、鶴ヶ城の大手門の渡り櫓(やぐら)などへ簡単に 「昇り」「降り」ができるように造られ ています。 V字型に造られており 「武者走り」 とも呼ばれ鶴ヶ城の石垣の特色の一つです。 また地表面での占有面積も少なくすみ、石積みについての当時の知恵がうかがえます。 ● 鶴ヶ城稲荷神社 この稲荷神社は約600年前にお城ができた頃から守護神として祀られていました。 当時はこれより東手の三ノ丸にあったものを現在の地に移されたといわれています。 伝説によれば、築城の縄張りに苦心した芦名直盛が勧請先の田中稲荷神社に祈ったところ霊夢 があり目覚めてみると降り積もった雪に狐の足跡があり、それをしるべとして築城の縄張りを決め 名城を築くことができたと伝えられています。 現在は蚕養国神社(会津若松市蚕養町)の管理で、元旦詣りや学業成就、商売繁盛、家内安全 や交通安全祈願など広く人々の信仰を集めています。 ● 本丸埋門(ほんまるうずみもん) 天守閣の北東にあって本丸奥御殿の北側から本丸帯郭に通じる枡形の城門である。 城内の他の門や建築物に比較して低い門構えで埋うずみ門の形態をとっていた。 大手口が東であった築城当時は表門であったが、寛永16年(1639年)の加藤明成による改築後 は裏門となっている。 本丸奥御殿の勝手口としても重要な門である。 * (直進・・廊下橋方面)・・・(蒲生時代の表門) ************************************* ● 「廊下橋」より「本丸埋門」まで ● ● 廊下橋 本丸から二の丸へ通じる朱塗りの橋で、加藤明成の大改修まではここが大手口でした。 葦名時代には屋根のついた廊下造りだったので、廊下橋と呼ばれました。 (全景はパノラマでご覧ください) ● 本丸埋門へ向かいます。 * (本丸埋門へ)・・・(甲冑姿の武士) (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |