(鶴岡八幡宮HPからお借りしました) (画像をクリックすると、大きくなります) << 段葛−→三の鳥居−→源平池−→旗上弁財天社−→流鏑馬馬場 >> ● 鶴岡八幡宮の境内入り口に「三の鳥居」が建っています。 三の鳥居の手前に「段葛」といわれる参道があります。 段葛(だんかずら) 頼朝が妻政子の出産の安産祈願のため、まわりより一段高い参道で若宮大路(史跡)の中 心部となります。 参道の両側に葛石を積み重ね堤を築いもので段葛と呼ばれています。 春には桜、つつじが満開になり、花のトンネルが出来ます。 ● 三の鳥居を入り境内へ。 一の鳥居、二の鳥居とともに、1668年(寛文8年)徳川四代将軍家綱により寄進された石造鳥居で した。 1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊し、現在の鳥居は鉄筋コンクリート造です。 ● 参道を左に行くと、「源平池」や「喫茶 風の杜」・「神奈川県立近代美術館鎌倉館」がみえます。 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 参道を右に行くと「旗上弁財天社」に。 ● 旗上弁天社御由緒記 治承4年(1180)8月 源頼朝公は伊豆君国に源家再興の旗を上げ、石橋山の戦いに敗れて房総 に転じ10月鎌倉に移るや直ちに鶴岡八幡宮を創建し、居館を定めて平家討伐の本拠とした。 夫人政子は平家滅亡の悲願止み難く、寿永元年(1182)大庭景義に命じ境内の東西に池を掘らし め、東の池(源氏池)には三島を配し三は産なりと祝い、西の池(平家池)には四島を造り四は死な りと平家滅亡を祈った。 この池が現在の源平池である。 そして東の池の中の島に弁財天社を祀ったのが当社の始めで、明治初年の神仏分離の際境内に あった他の堂塔と共に除かれた。 その後昭和31年篤信家の立願によって再興され、さらに昭和55年9月鶴岡八幡宮創建800年を記 念して、江戸末期文政年間の古図に基づき現在の社殿が復元されたのである。 因みに弁財天信仰は、鎌倉時代既に盛んで妙音芸能の女神、福徳利財利益の霊神として世に広 く仰がれている。 当社に祀られていた弁財天像(重文)は鎌倉彫刻の代表傑作で、種々の御神徳が如実に具現され た人間味溢れた御神像である。 祭 日 例大祭 4月初巳の日 祈願祭 毎月巳の日 旗上奉納 二引の白旗に御神号を記したのが用意してあります。 お申込下さると願意氏名を記し祈祷して奉納し毎日神前に掲げます。 旗上祈祷 頼朝公旗上げして後、遂に大願成就した神徳により開店、事業拡張を始め、家内安 全、商売繁盛、必勝祈願、病気平癒、縁結び等の申し込みを受け付けております。 政子拝観 古来縁結びの霊能があり、姫石とも称し世に知られている。 ● 参道を進むと、境内中央付近を東西に走る「流鏑馬馬場」が。 文治3年(1187)8月15日鶴岡八幡宮放生会に際して、源頼朝が流鏑馬を催行したことに由来すると いわれる伝統のある流鏑馬です。 毎年9月16日に流鏑馬神事が行われます。 (全景は、パノラマでご覧ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |