(山寺観光協会HPよりお借りしました) (画像をクリックすると大きくなります) << 登山口−→根本中堂−→手洗い水−→ティーデマン先生記念碑−→ −→橋殿−→芭蕉句碑−→清和天皇御宝塔−→水子供養地蔵尊 >> ● 登山口の階段をのぼります。 * (登山口 奥の院まで1000余段) ● 階段を上ると、正面に「根本中堂」が見えてきます。 ● 根本中堂 (詳しくは前項に記載してあります) 慈覚大師作と伝える本尊の木造薬師如来坐像をはじめ、文殊菩薩、毘沙門天などが安置され、伝 教大師が中国から比叡山に移した灯を立石寺に分けたものが今日も不滅の法灯として輝いている 織田信長の焼打で延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を堂内で 拝することができる。 あきらけく のちのほとけのみよまでも ひかりつたえよ のりのともしび * (招福布袋尊/布袋尊のからだをなでて願いことをお祈りする) * (四寺廻廊御朱印所) * (手洗い水) ● ティーデマン先生記念碑 ハンス・ティーデマン先生(1883年ドイツ生まれ哲学博士)は、1921年から10年間山形高等学校に おいてドイツ語を教授しに、山形の風土を愛し、独自の風格をもって青年の教育にあたった。 先生は帰国後も常に山形の地をおもい、山寺の片隅にささやかな記念の石を置き、からわらにド イツから送り届けた白樺を植えることを希望した。 先生の知人と教え子の有志は1958年記念の碑を建て、永く先生を偲ぶよすがとした。 1995年 ふすま同窓会 ● 橋殿 古来 天皇・宮人のみ渡る石橋と伝えられている。 石橋の裏側に梵字(インド)の古代仏字が刻み込まれている。 石地蔵尊の頭をなでると長命できるとか・・・ ● 芭蕉句碑と清和天皇御宝塔 閑さや岩にしみ入る蝉の声 元禄2年(1689)、おくのほそ道をたどり山寺を訪れた松尾芭蕉の句で、門人たちが嘉永6年(1853) にたてた句碑である。 奥に見える宝塔は、山寺を勅願寺とした清和天皇の供養塔で、天皇の遺徳を慕い、国家の安泰を 祈って建立された。 当山では最も古い石塔である。 * (芭蕉句碑) * (清和天皇御宝塔) ● 水子供養地蔵尊 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |