(山寺観光協会HPよりお借りしました) (画像をクリックすると大きくなります) << 日枝神社鳥居−→芭蕉と手水盤−→東宮(大正天皇)行啓記念碑−→貞明皇后記念碑−→社務所−→ −→山寺の大イチョウ−→日枝神社−→亀の甲石−→御神輿殿−→御朱印所−→こけし塚 >> ● 日枝神社鳥居をくぐります。 ● 芭蕉と手水盤(ちょうずばん) 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 「おくのほそ道」の旅で、芭蕉が門人の曽良とともに山寺を訪れたのが元禄2年(陽暦)7月13日の 夕刻である。 麓の「預り坊」に宿をとり、その足で山上の堂に登った事が「曽良旅日記」には記されている。 二人が山寺を訪れた十年後の元禄12年4月19日にその「預り坊(預り里)」より奉寄進されたのが この手水盤である。 その年の4月19日というのは「4月中の申の日」に当たってをり、日枝神社の大祭日となっている またこの手水盤の前面には「預り里」を筆頭として寄進した人の名が数名刻まれている。 また両側面にも11名の人名が刻まれてをり当時の山寺の様子を探る上で重要な手がかりであり 貴重な文化財である。 ● 東宮(大正天皇)行啓記念碑 明治41年9月に東北所縣を巡啓あらせられ山寺に行啓あらせられるを記念したもので昭和4年9月 に県によって建立せられた。 文面は、元侍従長二位勲二等伯爵の徳川達孝の題額であり、選文は元山形県知事従三位勲二 等の馬淵鋭太郎である。 ● 貞明皇后記念碑 昭和25年6月に貞明皇后が大日本蚕糸会総裁として本県にお成りあそばされた時の記念碑で昭 和27年6月に建立せられた。 毎年4月には蚕糸祭が執り行われており、県内の蚕糸業者が参列のもと盛大に斎行される。 貞明皇后御歌 「夏の日のなかき日くれし桑畑に桑きる音のまたたえぬかな」 ● 社務所 ● 山寺の大イチョウ 昭和40年3月5日指定 (社務所の前にあります) 史蹟名勝「山寺」の山内、山寺日枝神社境内の南東側にあるイチョウの雄株です。 根元の回りが約10m、地上1.5mのところの幹周りが約9.6mを測ります。 山形県内では、鶴岡市湯田川の乳イチョウなどと肩をならべるほどの巨木で、市内では最大のイチ ョウの木です。 以前は、樹高およそ30mの主幹がありましたが、昭和47年9月17日未明の暴風によって、地上4m ほどの上部で折損し、樹冠の大半を失いました。 その後、数十年の歳月を経て現在のように樹勢は挽回し、山寺一円の守護神である日枝神社の ご神木として、歴史の年輪を刻み続けています。 平成22年7月 山形市教育委員会 ● 日枝神社 貞観2年(860)、慈覚大師の開山にあたり、釈迦・薬師・阿弥陀三尊を安置し、守護神とした。 江戸時代までは山王権現等といわれ、明治威信では村社となって、大山咋尊(おおやまぐいのみ こと)を祭神としており、5月17日に祭礼がおこなわれる。 右側の大きな碑は、この地に行幸された大正天皇と、貞明皇后の記念碑である。 後方の大銀杏は、慈覚大師のお手植えと伝えられ、一千百余年の樹齢というその下には、高浜 虚子・年尾の親子句碑がたっている。 いてふの根床几斜に茶屋涼し 高浜虚子 我もまた銀杏の下に涼しくて 高浜牛尾 ● 亀の甲石 亀の形をした此の石は古来より延命・長寿の霊験ありと伝えられてをり、小銭に名前を書いて供へ 置けば願いが叶うと言われてをります。 (良善院資料より) 尚、供へ置いた小銭は毎日夕刻に神前に奉献の上、諸人の身体堅固・心願成就を御祈祷申し上 げております。 社務所 ● 御神輿殿 この御神輿殿の中には社宝である玉御輿「1,320年製」と鳳凰御輿2基「1,615年製」が納められて いるが文化財保護のために昭和55年に3基共に複製し現在は計6基が納められている。 例祭日(5月17日)にはその3基による若宮誕生の有様を現した雄壮な御生れ神事神輿渡御が荘 厳に且つ盛大に執り行われている。 この御生れは(神輿振り)神事は山形市の無形文化財に指定されている。 * (御朱印所)・・・(こけし塚)・・・(宝物殿側の鳥居) ****************************************** ● 日枝神社登山口 煩悩の数108段 1段ずつ登って、煩悩をすべて消してください。 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |