(山寺観光協会HPよりお借りしました) (画像をクリックすると大きくなります) << 登山口−→山門−→姥堂−→笠岩−→修行者の参道/四寸道−→せみ塚−→弥陀洞 >> ● 登山口 右側のお堂は常行念仏堂で、江戸時代の初めに再建された。 坐禅や写経をおこなう立石寺の修行道場であるが、参詣者も自由に修行ができるように準備され ている頭上の堂は鐘楼で、除夜の招福の鐘として知られ、元旦にかけて数千人の参拝者が幸福 を願ってこの鐘をつく。 左側の、鎌倉時代の建立といわれる山門は、開山堂などへの登山口で、大仏殿のある奥之院ま での石段八百余段。 その途中、数十メートルの岩の上に建つ堂塔や、数百年の樹林の間に貴重な宗教文化と、自然 景観が一体となった、日本を代表する霊場の入口である。 ● 山門(鎌倉時代の建立) 開山堂などへの登山口で、大仏殿のある奥之院までの石段は800段を超えます。 その途中、数十メートルの岩の上に建つ堂塔や、数百年の樹林の間に貴重な宗教文化と自然景 観が一体となった、日本を代表する霊場の入口です。 拝観料 一人:300円 入口の左側の寺務所が出口になっています。 * (左側の寺務所が出口です) ● 階段をのぼっていきます。 山寺の石段 昔から石段を一段二段と登ることにより私達の煩悩が消滅すると信仰されている修業の霊山 です。 * (目の前の 岩に雲たつ 涼しさよ 三幹竹) ● 姥堂 この堂の本尊は奪衣婆の石像。 ここから下は地獄、ここから上が極楽という浄土口で、そばの岩清水で心身を清め、新しい着物に 着かえて極楽の登り、古い衣服は堂内の奪衣婆に奉納する。 一つ一つの石段を登ることによって、欲望や汚れを消滅させ、明るく正しい人間になろうというもの。 左の大きな岩は、笠岩とも笠投石ともいい、慈覚大師が雨やどりしたところとも伝えられる。 * (西国三十三所観世音菩薩尊像) 一つ一つ石段を登ることで、欲望や汚れを消滅させこの世のしがらみを捨て正しい人間になろうと いう意味合いのあるり、ここから石段の両脇には、岩塔婆や石仏、お堂が点在します。 ● 笠岩 姥堂の向かいにあるひさしの付いた大きな岩が笠岩です。 山寺を開山した慈覚大師が雨宿りをした岩として伝えられています。 * (預天賀地蔵) * (中/夜行念仏)・・・(右/金剛寶地蔵) ● 修行者の参道 お山の自然にそってつくられたこの参道は、昔からの修行者の道。 一番せまいところは約14cmの四寸道で、開山・慈覚大師の足跡をふんで、私たちの先祖も子孫も 登ることから、親子道とも子孫道ともいわれている。 左上にそびえる百場岩の上に、納経堂や開山堂、展望随一の五大堂がたっている。 参道のあちこちの車のついた後生車という木柱は、年若くして亡くなった人の供養で、南無阿弥陀 仏ととなえて車をまわすと、その仏が、早く人間に生まれて来ることができるという。 四寸道 登山口から360余段 奥の院まで640余段 * (安然和尚像 磨崖仏/平安初期) ● せみ塚 松尾芭蕉のおくのほそ道の紀行文に、 山形領に立石寺といふ山寺あり。 慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。 一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。 日いまだ暮れず。 麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る。 岩に厳を重ねて山とし松栢年旧り、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉じて物の音聞こ えず岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ。 閑さや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて石の塚をたてたもので、せみ塚といわれている * (せみ塚) ● 弥陀洞 ながい歳月の雨風が直立した岩をけずり、阿弥陀如来の姿をつくり出した。 1丈6尺(約4.8m)の姿から丈六(じょうろく)の阿弥陀ともいい、仏のお姿に見ることができる人には、 幸福がおとずれるという。 山寺の岩は、新第三紀中新世の凝灰岩からなっており、自然の景観を土 台にして、宗教文化の殿堂が築きあげられている。 ● もうすぐ仁王門です。 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |