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豊臣秀吉の側室淀殿(よどどの)が父の浅井長政の追善のため、長政の21回忌に秀吉に願って養 源院を建立し長政の従弟で叡山の僧であった成伯法印を開山とし、長政の院号を以て寺号とした のは文禄3年(1594)5月である。その後間もなく火災にあい焼失。 元和7年(1621)に淀殿の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が伏見城の遺構を移して本堂を再建したのが 今の本堂である。 以来、徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っている。 ○宗達襖杉戸絵・・・画像は小冊子より 此の本堂の襖(12面)杉戸(8面)の絵は俵屋宗達の筆で、自刃した将士英霊を慰める為に「お念 仏、御回向」にちなんだ絵を画いたもので、杉戸には象や獅子や麒麟等の珍しい行動を画いて 居り其の表現が奇抜で新鮮味に溢れ、また曲線美の効果が素晴らしい。 *左側(左絵・・白象図/重文 縦181、横125cm 右絵・・白象図/重文 縦181、横125cm ) ○宗達筆、唐獅子図、西面(二点共)杉戸絵(重文、部分)・・・画像は小冊子より *中央 これは三方正面八方にらみの図となっており、どこから見ても獅子と眼が合う。 ○狩野山楽の襖絵・・・画像は小冊子より 玄関の左の方に太閤秀吉の学問所とした牡丹の間がある。 狩野山楽が牡丹の折枝を散らした図案的な襖絵を描いている。 *右側 山楽筆、牡丹図/襖絵・紙本金地著色 金の雲の中に牡丹の折り花だけを散らした新鮮味あふれる図案画となっている。 ○鶯張廊下 本堂の廊下は総て左甚五郎の造ったうぐいす張りで静かに歩くとよい音がする。 ○血天井(本堂前)・・・左画像は小冊子より 此の本堂の左右と正面の三方の廊下の天井は伏見城落城の時、鳥居元忠以下の将士が城を 死守し、最後に自刃した時の廊下の板の間を天井に上げ、その霊を弔ったもので世に「血天井」 と称して名高い。 ○養源院池庭/小堀遠州作(通常非公開)・・・右画像は小冊子より 「都林泉名勝図会」に書かれているように、多くの珍しい岩石を配している。 紅葉時の庭もすばらしい。 ○お市の方供養塔 (左 通常非公開)・・・画像は小冊子より ○崇源院石塔墓 (中 通常非公開)・・・画像は小冊子より ○養源院を再興した崇源院肖像 (右 通常非公開)・・・画像は小冊子より 崇源院は浅井長政の三女お江与(江/ごう)で、徳川秀忠の正室となる。 ● 水舎(左側) ● 「白鷹龍神・白玉明神・赤桃明神」という額が掛かった石の鳥居と小祠がヤマモモの大木の側に。 ● ヤマモモ 京都市指定保存樹 平成14年3月指定 (左側) このヤマモモは、豊臣秀吉が伏見桃山城内に手植えしたものを、後年にこの地に移植したと伝え られています。 双幹で、枝葉を四方に伸ばした総大な姿は圧巻で、半球形に整った樹形が長い歴史を物語って います。 ● 宝篋印塔 ● 鐘楼(右側) ● 地蔵尊 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |