(2)銅鳥居→宝物殿

                             


         (1)菅公一千百年祭記念・・(2)奇縁氷人石・・(3)菅家遺戒碑・・(4)筆塚/泉鏡花

           (5)小唄顕彰碑・・(6)牛像/撫で牛・・(7)包丁塚・・(8)銅鳥居・・(9)新派碑

                       (10)ガス灯(11)・・努力碑/王貞治

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   ● 講談高座発祥の地
        江戸時代中期までの講談は 町の辻々に立っての辻講釈や 粗末な小屋で聴衆と同じ高さで演
        じられていた
        文化4年(1807年)湯島天満宮の境内に住み そこを席場としていた講談師伊東燕晋が 家康公
        の偉業を読むにあたり庶民と同じ高さでは恐れ多いことを理由に高さ三尺 一間四面の高座常設
        を北町奉行小田切土佐守に願い出て許された
        これが高座の始まりであり 当宮の境内こそ我が国伝統話芸 講談講座発祥の地である。
             平成17年11月吉日  六代目 一龍斎貞水 建立
                発起人代表   文京区 区長 煙山 力  湯島天満宮宮司 押見守康

                                 


   ● 瓦斯灯(がずとう) 湯島神社(天神)境内
        青白いガス灯、清らかな白梅
           「お蔦、何も言わずに俺と別れてくれ」
           「切れるの分かれるのって、そんなことは---」
        これは有名な新派「婦系図/おんなけいず」(原作・泉鏡花)の湯島天神の場である。
        この境内には、もとガス灯が5基あったが、そのうち形だけ残っていた男坂上の最後の一基は昭
        和40年頃撤去された。
        ガス街灯は、明治5年(1872)開港地横浜に点灯されたのが最初で、東京には、同7年金杉橋・京
        橋間に85基が設置された。
        ガス灯は、文明開化のシンボルで、明治の時代を象徴するものであった。
        今、ここに、東京ガス株式会社の協力を得て、ガス灯を設け点灯することになったが、これは都内
        で、野外のものとしては、唯一つのものである。
                  昭和56年11月2日   文京区観光協会
         湯島の白梅  作詞 佐伯孝夫
          (三)青いガス灯 境内を 出れば本郷 切通し あかぬ別れの 中空に 鐘は墨絵の 上野山

                         


   ● 文具至宝碑
        中国より渡来した紙筆墨硯は文房四宝と称せられ読み書き算盤の寺子屋時代から明治の学制
        発布により高い文化を育てる文具として大きく貢献をしてきた
        今や文房具はOA器機にいたる迄その範疇を広げ四宝から至宝に至って戦後の日本国を世界
        の大国に復興せしめた教育の原動力となった11月3日(文化の日)を文具の日として定め平成元
        年を迎えるに当たり先人に報恩感謝の念を捧げつつここ学問の神さま湯島天神の境内に文具至
        宝碑を建立する      平成元年11月3日         文具資料館

   ● 新派の碑
        この「新派」の記念碑は新派劇創立90年を迎えた昭和52年11月1日松竹株式会社と水谷八重子
        氏により新橋演舞場玄関脇に建てられました。
        新派の始まりは明治21年12月自由党壮士角藤定憲が同志を集め大阪の新町座で「大日本壮士
        改良演劇会」の旗揚げをしたのが起源とされています。 風雪はげしい90年ではありましたが、今
        日「劇団新派」として隆盛を見ましたその先人たちの労苦を偲び併せて今後の精進を誓うべく記念
        碑の建立を見た次第です。
        そして新橋演舞場の改築にあたり当湯島天神様のご好意により新派とは深い縁で結ばれており
        ます。  当湯島天神様のご境内に移させていただいたものです。
        なお、碑の題字は作家の川口松太郎氏の揮毫により設計は舞台美術家の中嶋八郎氏です。
        左側の梅樹は昭和31年新派の名優故花柳章太郎氏の献木によるもので奇しくも記念碑と献木が
        同じこの場所に並んだ次第です。      昭和54年4月26日

    * (文具至宝碑)・・・(新派の碑)

                         


   ● 宝物殿
       湯島天満宮本社神輿や、町内神輿をはじめ所蔵の宝物類を展示しています。

                                 


                            


   ● 銅鳥居(東京都指定有形文化財)
        この鳥居は銅製で、寛文7年(1667)同8年の刻銘があり、この時期に寄進された物です。
        数度の修理を重ねて維持されてきましたが、都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、製
        作も優秀なもので、昭和45年8月に東京都指定有形文化財に指定されました。
        鳥居の様式は神明鳥居といわれるもので、横木が二重になり反りをもって柱が内側に傾いてい
        ます。  横木の上の方を笠木、下の方を島木といいます。
        鳥居の大きさは、柱の下から上端についた台輪までの長さが3.88m、笠木上端の長さが6.81m
        です。

                  


   ● 「手水舎」の両側に「牛像/撫で牛」が。
        天神信仰の中でも、天神さまと牛とは切っても切れないものがあり、古くより様々な縁起・伝承を
        見ることが出来ます。
        道真公は承和12年6月25日乙丑の年に、ご生誕になり延喜3年2月25日の丑の日に薨ぜられ、
        また「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言をされ、「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、
        その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は、黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動か
        なくなり、そこを御墓所と定めた、と書かれています。
        ほかにも、天神さまと牛との関わりについて数多く見られ、道真公がいかに深く牛を慈しんでい
        たかも窺われます。
        このようなことから当神社の境内には石造りの臥牛があり、牛の角をなでていく方、手を合わせ
        ていく方、鼻が悪いといって鼻をなで、足が悪いのでと足をなでていく方、・・・と多くの方々から
        「撫で牛」として信仰されています。

                  


   ● 火伏三社稲荷神社
        稲荷神社は五穀豊穣の神様を祀る神社として有名ですが、火伏せ・火鎮めのご利益もあるそうです
        お狐様の左側は玉(宝珠)、右側は鍵(霊力を引き出すためのもの)をくわえています。

                         



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                               ● (入口へ) ●

 

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