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<<妙雲界廟−→新修先廟記の碑−→西南の役旧仙台藩士戦没者弔魂碑 −→公子公女の墓所(御子様御廟)>> ● 妙雲界廟 感仙殿北側の土塁で囲まれた一画には9代藩主周宗(ちかむね)公、11代藩主斉義(なりよし)公と その夫人芝姫(あつひめ)の墓があり、総称して妙雲界廟という。 三代までの藩主や四代までの藩主夫人たちとは異なって妙雲界には霊屋建築はなく、明治初め まで本瓦葺四柱吹き放しの雨屋が墓ごとにあった。 これは四代藩主綱村公の遺命により従来の葬法が改められたことによる。 9代藩主伊達周宗(ちかむね)の石塔・・青龍院殿故陸奥國主紹山隆公大居士 11代藩主伊達斉義(なりよし)の石塔・・曹源院殿故羽林次将正山榮因大居士 11代藩主伊達斉義(なりよし)公夫人芝姫(あつひめ)の石・・眞明院殿心月珠泉尼大姉 *(9代藩主伊達周宗の石塔)・(11代藩主伊達斉義の石塔)・(11代藩主伊達斉義夫人芝姫の石塔) 伊達家葬法の変化 4代藩主綱村以降歴代の墓所大年寺(無尽灯廟、宝華林廟)は廟建築を廃し一定規格の板石 塔婆に雨屋のみとなる。 さらに5代藩主吉村以降、夫婦の墓を並列することになり総称も3代藩主綱宗までの霊屋から 御廟へと区別される。 明治初年伊達家は墓所の祭祀を仏式から神式へ改め、13代伯爵慶邦(よしくに)の墓所(茂ヶ 崎)以降歴代墓所は土饅頭と称する小円墳へと代わる。 ● 新修先廟記の碑 経ヶ峯の石造文化財 藩政時代、経ヶ峯には伊達家三代の霊屋をはじめ全山に塔頭及び子院が置かれていたが、明治 維新後の廃仏毀釈により瑞鳳殿霊屋と感仙殿・善応殿の本殿のみを残し、その他付随施設は撤 去もしくは取り壊しとなった。 感仙殿前にあるコウヤマキの下には、明治12年経ヶ峯を永久保存施設とした「新修先廟記」の記 念碑が残されている。 文面によれば、明治10年9月起工、同12年12月完成、木石土工に7605人、工費3000余円とある ● 「御子様御廟」に向かいます。 ● 西南の役旧仙台藩士戦没者弔魂碑 経ヶ峯の石造文化財 明治10年(1877)2月19日、明治政府は西南賊徒征討隊として8旅団を編成、さらに内務省が東北 各県の士族より巡査を募集し、編成した新撰旅団(歩兵第4連隊・第5連隊を含む)を従軍させた。 西南の役平定後の9月29日征討旅団は編成を解かれたが、この役における新選旅団の戦死者は 141名であった。 ● そのまま下ると右側に観覧券売場に行く道があり、左側の看板(御子様御廟)に従い左折します。 * (御子様御廟方面へ) ● 経ヶ峯散策路 歴史公園経ヶ峯公園 この付近にはムササビやニホンリスなど市街地周辺では珍しい哺乳類や、キツツキの一種である アオゲラをはじめとする40種以上の鳥類が生息しています。 経ヶ峯一帯は植林されたスギを中心に特異な構造を保った植生がみられますが、これらの鳥獣は さまざまな植物群落の形成と密接な関係をもっていることが、調査の結果明らかとなっています。 なお、西側の広瀬川沿いにある断崖は、全国的にも数少ないチョウゲンボク(ハヤブサ科)の営巣 地となっています。 ● 公子公女の墓所(御子様御廟) 正徳3年(1713)以降に設けられた廟所で、5代吉村以降6代宗村、7代重村、11代斉義、13代慶邦 までの歴代仙台藩主の若くして死去した公子公女が埋葬されている。 21基の笠塔婆の墓と80基を超える石燈籠が現存するほか、藩主側室や老女の墓7基もおかれて いる。 昭和59〜60年度に全域の修復整備を行った。 番号 被葬者 備考 番号 被葬者 備考 1 総三郎 7代藩主重村長男 16 斐 姫 13代藩主慶邦長女 2 抑 姫 6代藩主宗村十二女 17 阿 今 5代藩主吉村公子の伊 3 房 姫 6代藩主宗村十一女 村風室 4 藤七郎 6代藩主宗村六男 18 婉 姫 13代藩主慶邦二女 5 村 風 5代藩主吉村三男 19 (不明) 6 才 姫 6代藩主宗村十女 20 寿 姫 7代藩主重村九女 7 武三郎 5代藩主吉村二男 21 仙三郎 7代藩主重村三男 8 姫 6代藩主宗村七女 22 禎 丸 13代藩主慶邦長男 9 村 匡 5代藩主吉村長男 23 砂沢氏 10 5代藩主吉村十五男 安 子 11代藩主斉義側室 11 入米之丞 6代藩主宗村長男 24 寂照院本菴慧心禅尼 12 寔 丸 7代藩主重村四男 25 岸氏盛子 真明院老女 13 孝 姫 5代藩主吉村養女 26 伯 姫 4代藩主綱村二女 伊達村 室 27 竜華院分流智津禅尼 14 禎 丸 11代藩主斉義長男 28 真誉妙珠法尼 15 依 11代藩主斉義二女 ● 駐車場に戻ります。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |