(箱根神社HP境内案内図をお借りしました) (画像をクリックすると、大きくなります) << 第一鳥居−→第二鳥居−→第三鳥居−→駐車場−→お札所/南−→矢立のスギ−→ −→武道場−→手水舎−→石碑(源頼朝三度大難を免かるの記) >> ● 芦ノ湖を左側に見ながら進むと、箱根神社の「平和の鳥居」がみえます。 ● 左側の箱根関所を過ぎ、成川美術館(右側)のそばの「第一鳥居」を通過。 第一鳥居 背景に奥宮の鎮まる駒ヶ岳を仰いで、元箱根の入口に建つ第一鳥居は、皇太子殿下の御成婚 を奉祝して、平成5年12月に建替えられました。 国道1号線をまたぐ鳥居では、日本一の大きさを誇ります。 信号(元箱根)のそばの「第二鳥居」通過。 第二鳥居 第二鳥居の横にバス専用と乗用車、それぞれの参拝者駐車場があります。 鳥居の持つ意味 清浄な神霊の鎮まる聖地と、俗世間とを区別する境界にあり、神域を示すものです。 箱根神社の鳥居の形式は、明神鳥居ですが、湖上に建つ平和の鳥居だけは、両部鳥居です。 * (第一鳥居)・・・(第二鳥居) ● まもなく「第三鳥居」があり、ここから参道になります。 * (第三鳥居) ● 三の鳥居の脇を進むと右側に駐車場入口があり、緩い坂を上っていくと駐車場に。 * (駐車場入口)・・・(駐車場) ● 「脇参道入口の鳥居」と「お札所/南」が、駐車場に向いています。 お札所/南 御神印の受付です。 正月は5日まで社務所で行います。 御神印料は300円。 ● 矢立のスギ かながわの名木100選 平安時代に、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定に、また陸奥守源頼義が安倍氏追討に際してこ のスギに表矢を献納したと伝えられています。 幹はまっすぐに高く伸びて樹勢も旺盛です。 樹高 35m 胸高周囲 6.0m 樹齢 約200年(伝承) スギは、本州から九州に広く分布する常緑高木で、神社などに植えられるほか、治林樹種として多く 用いられています。 樹高60m、胸高周囲15m、樹齢約3000年に達するものもあると言われています。 箱根神社では、所願成就・心願成就の御神徳として祭られております。 ● 武道場 武道場開設の由来 古来、刀剣や弓矢は、神に捧げる威儀物として、また武具として尊重され、破邪顕正の象徴とさ れてきました。 平安朝の武将・坂上田村麻呂は、延暦20年(801)東北鎮撫に赴き、箱根の山坂を越えるとき当 所箱根権現に「表矢」を献上して武運の長久を祈り、心願を成就しました。 それ以来、源頼義や八幡太郎義家、鎌倉時代の源頼朝や義経等、後世の武将たちが、この先 例に倣ひました。 当神社の「矢立の杉」はその名残を留めていますが、このことを鎌倉三代将軍・源實朝は象徴的 に詠じています。 東路の関守る神の手向けとて 杉に矢たつる足柄の山 また武士道が成立した鎌倉時代には、曽我兄弟の仇討があり、武士の鑑とあがめられましたが 弟の五郎時致(筥王)は、箱根権現の稚児として仕え、境内の杉並木を対手に剣を磨きました。 このような由縁に基づき、当神社の武道場では今般武道道場を建立し、文武両道を錬成する青 少年教化の殿堂として開設されました。 ● 手水舎 明治天皇 御製 わが国は神のすゑなり神祭る 昔の手ぶり忘るなよゆめ 昭憲皇太后 御歌 みたらしの水のあふれてすがすがし 朝まうでする神のいがきに * (明治天皇 御製)・・・(手水舎)・・・(昭憲皇太后 御歌) ● 源頼朝三度大難を免かるの記 源頼朝は治承4年8月石橋山の旗挙げのとき、手兵僅かに三百をもって三千余騎の敵兵と決戦 して敗れたが、箱根山中の峻峰深谷の中に逃れつつ数日のあいだ縦横無尽の踏破を続けなが らよく敵軍の急追を免れたが、この間箱根権現社を小道地蔵堂と土肥杉山の岩窟での三度の 危期を脱して奇跡的な九死一生をえて後、遂に平家を倒して武家政治六百余年の基を築くに至 った。 この箱根山中三難の奇跡は日頃信仰の篤かった関東総鎮守の当権現の援助とその神霊の加 護によること る大である。 ここにその昔日を追想して碑を建てて以て大いに神威を楠揚する。 昭和53年12月吉日 ● 源頼朝公ゆかりの三匿(さんとく)開運の印篭御守 源頼朝公が石橋山旗上げの際、当所箱根権現の別当行実僧正より授けられた。 そのお蔭によって三度の大難を免れたという尊い御守りです。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |