(4)大泉水→内庭

                             


                        (小石川後楽園HPからお借りしました)

                         (画像をクリックすると、大きくなります)


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  ● 松原に戻り、「大泉水」の景色を楽しみます。
       大泉水
         この庭園の中心的景観。
         蓬莱島と徳大寺石を配し、琵琶湖を表現した景色を造り出したもので、昔はこの池で舟遊びをした
         といわれています。

                  


                     



                          (全景は、パノラマでご覧ください)

   ● 異形燈籠

              


  ● 大泉水を右手に見ながら「内庭」方面へ向かうと、「えいよう碑」が。
      えいよう碑
        七代治紀(はるとし)は将軍家から賜った鷹を大切にしていました。
        鷹は治紀が没した4年後に亡くなったため、八代斉脩(なりのぶ)がこれを哀しみ碑を建てたものです

                         


                      


  ● 「内庭」方面へいくと、右側への道がありますが直進です。
       標識(←内庭をへて木曽川へ)

                  


  ● 内庭
       本園は大別すると内庭と後園(後楽園)とに分けられます。
       内庭は水戸藩邸の書院の庭であって、江戸時代には「うちの御庭」などと呼ばれていました。
       現在は半分しか残されていませんが、大名屋敷が殆んど廃滅し今日旧態をよく残しているものとして
       貴重です。

                         


  ● 時計回りにまわることに。

                  


                          


     



               



                          (全景は、パノラマでご覧ください)

  ● トイレの脇に裏門(?)が。

                  


  ● 藤田東湖先生遺蹟

                         


  ● 東屋

                          


  ● 記念碑(陸軍造幣廠 東京工廠跡)

                          


  ● 唐門跡
       内庭から後園に入る門で、唐様の極彩色の彫刻をもった壮麗な建築物で朱舜水(しゅしゅんすい)の
       書いた「後楽園」の扁額がかけられていましたが、戦災で焼失しました。

                  


  ● 下ります。

                          


  ● 寝覚の滝
       内庭池水の末流が滝となって木曽川に落ちるところで、木曽路の名所「目覚の床」にちなんで呼ば
       れています。

                         


   ● 木曽山
       もとは古木が空をおおって昼なお暗く、渓流に沿った様子が木曽路を偲ばせます。
       またシュロが多くあったことから棕櫚山(しゅろやま)ともいわれます。

                                  


   ● 標識(←白雲台跡)に従い左折し、石橋を渡り階段を登ります。

                  


  ● 白雲台跡
       昼なお暗い木曽の山道を過ぎて渓流を渡りここに登ると、僅かに白雲の行き交うのが見えたという
       高台。
       遠くは妙義榛名の山々、近くは赤城・築土の社を望むことができました。

                         


   ● 下っていくと「紅葉林」になります。

                  


                        



            


                          (全景は、パノラマでご覧ください)

   ● 駐歩泉(ちゅうほせん)
        九代斉昭が、西行堂側の流れを西行の和歌
           「道のべに しみづながるる 柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ」
        にちなみ「駐歩泉」と命名し、自ら筆をとり碑を建てたものです。

                                 


                  


                                  


   ● 西行堂跡・・・石碑改修工事中
       藩祖頼房の時代に、御鞍打師「小野荘兵衛」作の西行法師の木像を安置したことから西行堂と名づ
       けられました。
       ここにある西行の歌碑は、九代斉昭の「駐歩泉」の碑にちなみ同夫人が建てたものです。
       なおこの堂は戦災により焼失しました。

                          


                  


                          


   ● 枯滝

                         



                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●


 

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