(画像をクリックすると、大きくなります) |
<<駐車場−→鹿児島県人七士の墓−→瑞鳳寺−→手水所跡>> ● 瑞鳳殿駐車場に駐車し、瑞鳳殿に向かいます。 * (駐車場) ● 瑞鳳殿へと続く坂道の左側に、「鹿児島県人七士の墓」があります。 明治10年西南戦争に従軍し、戦後官軍に投降した西郷軍は、国事犯として全国の監獄署に護送さ れた。 宮城県には椎原国幹(西郷隆盛の叔父)以下305人が県監獄署に収容された。 国事犯達は、みずから宮城県内の開発を願い出て、仙台、塩釜、野蒜(奥松島)、雄勝(石巻郊外) 等で開墾作業や築港工事に従事し明治初期の宮城県の開発に大きな役割を果たした。 このうち13人は獄中で病のため歿してこの地に葬られた。 現在7基を残し6基は遺族に引き取られたという。 心から冥福を祈る。 みちのく宮城鹿児島県人会 ● 左側に「瑞鳳寺」があります。 (別途記載) 瑞鳳寺は政宗公の眠る瑞鳳殿の香華院として経ヶ峯中腹にあります。 当山は藩祖政宗公の菩提寺として寛永14年(1637)2代忠宗公によって創建された御一門格寺院 である。 御本尊は釈迦、文殊、普賢の三体で平泉毛越寺より遷したもの、梵鐘は寛永14年忠宗公の寄進 によるもので県指定の文化財である。 本堂前の冠木門は3代綱宗公側室椙原のお品邸にあったもので俗に高尾門といわれている。 栄西堂は臨済宗の宗祖であり又日本に初めてお茶を伝えた、栄西禅師の御像を安置したもので、 人間国宝、香取正彦氏の作である。 茶室瑞新軒は14代淡々斉好裏千家又隠席写、2畳台目の2席。 花塚は、本源流の奥儀を示す石の組かたで、仙台の詩人土井晩翠の詩が記されている、その他伊 達安芸の献灯、先代萩の亀千代、政岡、千松の像などがあり境内には多数の花木があります。 ● 杉木立の参道を進みます。 石造りの階段は、戦争による焼失を免れた藩政時代からのもので、その数は、伊達家の禄高(62万 石)を表したものと言われます。 左右にそびえる杉の並木は古いもので樹齢370年余。 仙台藩の歴史を物語る象徴といえるでしょう。 * (観覧券売場方面)・・・(感仙殿・善応殿方面) ● 手水所跡 経ヶ峯の石造文化財 明治維新(1868)直後の廃仏毀釈に伴い、伊達家は御廟の祭祀を仏式から神式に切り替えた。 従来山内には水の涌く所がなかったが表参道石段中ほど西側に清水を発見し、これを祭祀用とした 現在石の囲いのみ残り泉は涸れている。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |