本丸跡からのパノラマ |
(2)長坂〜表門 (3)本丸跡〜与次郎稲荷神社 |
(5)埋門跡〜奥庭跡 (6)御鷹屋御番所跡〜二の丸跡 |
● 久保田城跡 秋田藩主佐竹氏が約270年にわたり秋田を治めた居城跡。 久保田城は、現在の千秋公園一帯の台地にあり、この丘陵は「神明山」と言い、その名は丘陵上 にあった「神明社」に由来。 久保田城は別名「矢留城」、公的には「秋田城」といわれます。 慶長7年(1602)、常陸国から秋田地方へ国替えを命ぜられた佐竹義宣は、土崎湊城に入り、翌8 年から久保田に新城をつくり翌9年に移城し、同時に湊城を破却しました。 城は、天守閣がなく土塁をめぐらし内側にだけ石垣を築いていたようです。 「一の郭」は本丸・二の丸・兵器蔵、「二の郭」は外堀に囲まれた三の丸と重臣の屋敷が「三の郭」 「四の郭」まで土手をめぐらした構成です。 城自体はあまり防備に重点を置いていなかったといわれ、そのかわり城下町はすべて迷路にし街 全体が防御のために造られていたようです。 「久保田城本丸」は明治13年(1880)に焼失し、その後「千秋公園」として市民の憩いの場となって います。 * (佐竹義堯像) ● 見学コース(久保田城址歴史案内ボランティアの方に案内してもらいました) 黒門跡−−→若山牧水・旅人父子歌碑−−→佐竹史料館−−→二の丸跡−−→売店−−→ −−→長坂−−→長坂門跡(二の門跡)−−→御物頭御番所−−→表門跡(一の門跡)−−→ −−→本丸跡−−→佐竹義堯像−−→八幡秋田神社−−→与次郎稲荷神社−−→埋門跡→ −−→御出し書院跡−−→茶室「宣庵」−−→埋門跡−−→多門長屋跡−−→御隅櫓跡−→ −−→本丸跡(東屋・伏見宮博恭王殿下お手植え松)−−→奥庭跡−−→御鷹屋御番所跡→ −−→裏門跡−−→胡月池−−→鯉茶屋−−→二の丸跡 --------------------------------------------------------------------------- (1)黒門跡−−→売店 (2)長坂−−→表門跡(一の門跡) (3)本丸跡−−→与次郎稲荷神社 (4)埋門跡−−→茶室「宣庵」 (5)埋門跡−−→奥庭跡 (5)御鷹屋御番所跡−−→二の丸跡 --------------------------------------------------------------------------- ● 千秋公園の由来 明治23年(1890)城跡を秋田市が佐竹氏から借り受け公園としましたが、明治29年(1896)秋田県に 移管され、造園家/長岡安平の設計により整備されました。 昭和28年(1953)再び秋田市に移管、継続的に整備、管理され、昭和59年(1984)に15代佐竹義栄 氏の遺志により秋田市に寄贈されて、名実ともに市民の公園となりました。 「千秋公園」の命名者は、秋田県出身の漢学者・狩野良知で、「千秋」の由来は、秋田の秋に長久 の意の千を冠し、長い繁栄を祈ったものと言われています。 公園面積 16.29ヘクタール 平成15年11月 秋田市 ● 久保田城趾歴史案内ボランティアの会 千秋公園内を無料で、こちらの時間に合わせ丁寧に案内してくれます。 申し込み・問い合せ 土、日、祝日と6月と10月の平日は、佐竹史料館へ。 その他の月の平日は電話で予約。 連絡先:佐竹史料館 TEL:018−832−7892 ● アクセス JR秋田駅から徒歩で、ポケットパークまで約5分、二の丸まで約16分 秋田自動車道秋田中央ICから車で約15分 千秋公園内に有料駐車場14台分があり、周辺にも有料駐車場が沢山あります。 * (右画像/赤丸が有料駐車場です) (秋田市HP・佐竹史料館HPを参考にしました) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |