−工事・通行止め(駐車)−半原越−−急階段−ピ-ク・山名看板−階段・ロ-プ− ---------8:00-----------8:02-----------------8:10---------------- −経石−経ヶ岳(633.1M)−経石−ピ-ク・山名看板−半原越−通行止め(駐車) ----------8:20-8:44------------8:53-9:00------9:08-------9:10 所要時間(休憩は含みません) 半原越〜経ヶ岳 登り・・18分 下り・・17分 道路状況(通行止めなども、確認してください) (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください) (画像をクリックすると、大きくなります) |
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8:00 8:02 |
進みます。 リッチランド前を過ぎて少し行くと、ゲ-トのようなものがあり、両脇に鉄の柱が立っています。 (大型車は通れないと思います) どんどん登って行くのですが、道は舗装されていてそんなに狭くはありません。 崖崩れの工事の為、通行止めになっているので、道の脇に駐車し支度して出発。 2つ目のゲ-トのような鉄柱の先が、半原越でした。 二股になり、そのまま進む道と、工事で閉鎖されている道があります。 ここから仏果山にも登れます。 法論堂 昔修験者(山伏・僧侶)達が、この地で法(教え)を論じ合ったことから、この名が起こっ たと伝えられています。 現在、宿と呼ばれている旧家がありますが、おそらく修験者達が宿とした所からでしょう 煤ヶ谷の資料によれば、存円和尚、時々村舎に説法し村民をして、輪回応報を聞知せ しめ至法に遭わしむ。 今の法論堂村是山也とありましが、存円和尚とは仏果禅師のことです。 半原越 昭和の初期まで、煤ヶ谷は養蚕が盛んで、当時糸の町として栄えていた半原へ、繭を 背負ってこの峠を越えたことから、この名がついたと思われます。 現在は法論堂として、拡幅整備されています。 環境庁・神奈川県 * (半原越登山口)・・・(看板) |
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8:10 |
暗いスギ林の中を5分ほど登っていくと、ようやく尾根にでて落葉樹が混じってきて、この時期 葉が落ちているのであかるいです。 しばらく行くと小高いピ-クになり丹沢の山々が見え、山の名前が書かれた看板があります。 大山三峰・・大山・・塔ノ岳・三ノ塔 よく見えます |
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階段でロ-プもあり、振り返ると仏果山が見えます。 * (右画像/振り返ると仏果山が) |
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大きな岩で、道の反対側に、弘法大師が経文を納めた穴があります。 経石 昔、弘法大師がこの岩(南側にある穴)に、経文を納めた事から経石と、また経石の ある山だから経ヶ岳と呼ばれるようになったと伝えられています。 永禄十二年(1569年)北条武田合戦(三僧合戦)の際、武田氏に敗れた北条氏の落 ち武者がやっとのことでこの山にたどりつき法論堂まで追いかけてきたのかと思い、 経石付近で力つき相果てたそうです。 ところが落ち武者の見た槍というのは収穫を終えたトウモロコシだったといい、それ 以来この地方ではトウモロコシを耕作しなかったと伝えられている。 |
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8:44 |
それほど広くはありませんがテ-ブルがあり、丹沢の山々が良く見えます。 しかし、すぐ隣の仏果山は、木の陰で良く見えません。 標識(←田代 3.2KM 三増 6.2KM / 半原越 0.7KM 坂尻 5.5KM→)があります。 休憩して、戻ることにしました。 (全景は、パノラマでご覧ください) |
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9:00 9:08 9:10 |
少し山々を見て下る事に。 半原越通過。 通行止め(駐車)到着。 (画像をクリックすると、大きくなります) |