本堂前からのパノラマ |
(2)仁王門→地蔵堂 |
(4)本堂→仏舎利殿 |
● 祐天寺(浄土宗) 平成3年3月 目黒区教育委員会 祐天寺は、享保3年(1718)祐天上人を開山と仰ぎその高弟祐海上人が創建した寺院です。 当時新しい寺院の建立は幕府の厳しい制約があって困難でしたが、祐天上人のかねてからの強い希 望と、祐海上人の大変な努力によって、享保8年「明顕山祐天寺」の寺号が許されました。 以来、将軍吉宗の浄財喜捨や特別の保護を受けるなど、徳川家と因縁のある寺として栄えてきました。 本堂には、「木造祐天上人坐像」が安置されています。 この尊像は、将軍綱吉の息女松姫の寄進で、享保4年大仏師法橋石見(ほっきょういわみ)の名作です。 (都指定文化財) また、祐天寺第二世「祐海上人の木造坐像」(区指定文化財)等が安置されています。 本寺所蔵の「般若心経」1巻、「紺紙金字法華経第三」1巻(ともに都指定文化財)の2点は類例の少な い逸品です。 なお、境内には、将軍綱吉息女竹姫寄進の「仁王門」(区指定文化財)および阿弥陀堂や稲荷堂、将軍 家宣夫人天英院寄進の梵鐘と鐘楼、地蔵堂など江戸時代の遺構を伝える建造物のほか、江戸消防ゆ かりのもの、かさね供養塚などがあります。 墓地には、「祐天上人の墓」(都旧跡指定)や柳原愛子(あやぎはらなるこ/大正天皇生母)の墓等の名 墓及び「白子組並びに灘目の海難供養碑」(ともに区指定文化財)などがあります。 登録有形文化財 第13-0298〜0308号 この建造物は貴重な国民的財産です。 文化庁 0298 本堂 万延元年(1860)建立 0299 書院 明治28年(1895)建立 0300 地蔵堂 天明8年 (1788)建立 0301 地蔵堂門 嘉永4年 (1851)建立 0302 表門 明治時代前期 0303 水屋 弘化3年(1846)建立 0410 鐘楼 享保14年(1729)建立 (左/仏舎利殿)・・(中/本堂)・・(右/書院) (左/表門)・・(中/仁王門)・・(右/地蔵堂) (左/精進殿)・・(中/阿弥陀堂)・・(右/鐘楼) (左/五社稲荷)・・(中/寺務所)・・(右/祐天上人墓) (全景は、パノラマでご覧ください) ● 案内コース (1) (30)新東京八名勝記念碑−→(1)祐天大僧正二百回遠忌−→表門−→ −→(2)耆山(きざん)上人衣鉢(えはつ)塔−→(3)句碑−→(4)瑞泰院・養源院功徳碑−→ −→(6)鋪石成就供養塔−→(7)島崎七郎翁−→(8)白子組の海難供養碑−→ −→(9)灘目の海難供養碑−→(10)永代千部講中碑−→(11)百萬遍講中永代石碑−→ −→(12)鳶三番組碑−→(28)荏原郡忠死者弔魂碑−→(29)子まもり地蔵 (2) 地蔵堂門−→(14)水屋(地蔵堂前)−→(13)石灯籠(地蔵堂前)−→地蔵堂−→ −→(15)五番組供養碑−→仁王門−→(27)歌碑−→皇太子殿下御成婚記念樹−→精進殿 (3) 阿弥陀堂−→五社稲荷−→(26)かさね塚−→梵鐘−→(16)水屋(龍)−→(16)水屋−→ −→(25)水子地蔵尊−→(24)仏足石(仏足跡)−→(17)地蔵縁起碑(木遣り塚)−→ −→地蔵菩薩像−→皇太子殿下御成婚記念樹の碑 (4) 本堂−→(19)石灯籠−→(20)大香炉−→仏舎利殿−→(21)句碑−→書院−→寺務所−→ −→(23)落慶記念碑−→宝篋印塔−→大正天皇御生母 柳原一位局之墓−→祐天上人墓 (アクセス) 車の場合 首都高速2号線の天現寺で降り、JR恵比寿駅方面に向かい、駒沢通りを左折。 電車の場合 東急東横線・祐天寺駅下車。(特急・急行は止まりません) 徒歩7分。 バスの場合 渋谷駅より洗足駅行き「祐天寺」下車。 恵比寿駅より用賀駅行き「祐天寺」下車。 目黒駅より三軒茶屋駅行き「祐天寺裏」下車。 ● 祐天寺HPを参考にし、境内略図・アクセス図をお借りしました ● ● 近くに 旧朝倉家住宅 があります ● (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |