(1)宗関寺 |
(2)観音堂 |
(3)北条氏照・家臣墓 |
● 朝遊山宗関寺(曹洞宗) 延喜癸酉(913年)に華厳菩薩の敕謚号を受けた平安の僧、妙行が庵を結んだ所から始まります。 行を修していると牛頭天王が8人の王子を連れて現れ 「この地に留まり修行を行えば我はそなたの法を護ろう。」と、 そこで妙行は牛頭天王を祀り八王子権現と称し、自らの庵を蓮華院として修業を行いました。 八王子の地名は、この八人の王子より付けられたと寺の古文書には記されてます。 天慶巳亥(939年)朱雀天皇より寺領と扁額を賜い、牛頭山神護寺として勅願所となり、その後荒廃しま した。 永禄年間(1558年〜1570年)八王子城主北条氏照公の命を受け、その臣中山家範が工事の指揮をと り隨翁瞬悦大和尚を請して正親町天皇の綸旨を得て牛頭山神護寺は再建されました。 再建後の天正18年(1590年)八王子城と共に焼失しましたが、天正19年(1591年)に第四世豁州達翁 大和尚により再建され、十石の寺領を賜いました。 (左/山門)・・(中/本堂)・・(右/梵鐘) (左・中/観音堂)・・(中・右/聖観世音菩薩) ● 北条氏照・家臣墓 (日本遺産に認定) 北条氏照は、早雲の孫、氏康の子で、関東管領上杉家の老臣大名定久に代わって永禄2年(1559)頃、 滝山城主となったとされています。 氏照は、ほかに榎本・古河・栗橋など数城を併有したとされ、後北条氏の勢力拡大に大きく寄与した人 物でした。 武蔵国と甲斐国の境に大規模な山城である八王子城を築いたことでも有名です。 天正18年(1590)の小田原攻めでは、豊臣秀吉の武将前田利家・上杉景勝らの軍勢に対する家臣中山 勘解由らの防戦もむなしく八王子城は落城しました。 兄氏政を助けて小田原城にいた氏照も、開城後、兄とともに秀吉から切腹を命じられました。 現在ある氏照の供養塔は、勘解由の孫水戸藩家老中山信治が氏照の死後100年忌の追善供養のた めに建てたものです。 両脇には、家臣であった勘解由と信治自身の墓もあります。 (アクセス) 徒歩の方・・JR・京王線の高尾駅(北口)下車し国道20号線を渡りまっすぐ上っていきます。 多摩森林科学園の所を左折し、2つ目の信号を左折。 (左側・・妙観寺) 中央高速道路をくぐり、”八王子城址入り口”を左折し、道なりに行くと右側です。 (高尾駅から約30分) バスの方・・JR・京王線の高尾駅(北口)下車。 北口1番乗り場より西東京バス「霊園前・八王子城跡入口」降車、徒歩約5分 土・日・祝のみバス「八王子城跡」行き運行しますので、「八王子霊園南門」下車すぐ。 午前6時台〜午後7時までで1時間に約1本。 車の方・・・首都圏中央連絡自動車道、八王子西ICから高尾方面へ約10分。 または、中央道八王子IC、第2出口から、甲州街道を経由して約40分。 国道20号を八王子方面から来て、”町田街道入り口”で右折。 多摩森林科学園(左手)の所を通過し、2つ目の信号を左折。(左側・妙観寺) 中央高速道路をくぐり、”八王子城址入り口”を左折し、道なりに進み右側です 駐車場・・・宗関寺山門前の道はさんで反対にあります。 ● 近くに 八王子城跡1・・・片倉城跡・・滝山城跡・・・高尾山・・・小仏城山 景信山・・・陣馬山・・・今熊山・・・多摩森林科学園 があります ● (宗関寺HPを参考にしました) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |