中の丸からのパノラマ 本丸からのパノラマ1 |
(2)千畳敷→中の丸 金比羅神社からのパノラマ |
(4)木橋の下→信濃曲輪方面 (5)信濃屋敷→二の丸 |
● 滝山公園 滝山城は、相模小田原城に本拠を置く戦国大名北条氏第4代当主氏政の弟氏照の居城である。 縄張りの見事さから、全国有数の戦国時代の城郭として評価されている。 北条氏照は、これまで「大石系図」などにより武蔵守護代の系譜を引く大石定久の養子として滝山 城に入ったとされていた。 しかし、近年の研究では、氏照は幼名を藤菊丸と称し、浄福寺城(市内下恩方町)を拠点に由井領を 支配していた大石道俊(定久か)の子、大石綱周の養子になったと考えられている。 滝山城の築城年代や氏照の入城時期は不明な点があるが、永禄10年(1567)までには滝山城を居 城としていたとみられる。 永禄12年(1569)10月、甲斐の武田信玄が小田原城攻略の途中、その道筋にあった滝山城を包囲 した。 拝島大日堂の森(昭島市)に陣取った武田勢は周囲の村々を焼き払い、滝山城を裸城にしたと伝え られている。 このとき氏照は、古甲州道沿いの城下「宿三口/しゅくみくち」へ兵を繰り出し戦ったと、越後の上杉 謙信に自らの書状で伝えている。 その後、天正10年(1582)ごろから新城の築城工事が始められ、同15年「まだには滝山城から八王 子城(市内元八王子町)へと移っていったのである。 * (千畳敷) * (中の丸) * (本丸) * (金比羅社) ● 案内コース (1) 駐車場−→滝山城跡入口−→吉久稲荷神社−→(1)案内板(天野坂から枡形虎口)→ −→案内板(三の丸)−→(2)案内板(小宮曲輪)−→(5)案内板(コの字型土橋) (2) 千畳敷ー→二の丸−→本丸・中の丸方面へ−→ −→(10)案内板(中の丸南側の防御)−→(11)案内板(中の丸) (3) 木橋/引き橋−→本丸−→霞神社−→金毘羅社−→ −→(12)案内板(滝集落から本丸への侵入路) (4) (13)案内板(本丸南側枡形虎口)−→(14)案内板(本丸への木橋)−→ →金比羅社への階段−→信濃曲輪方面へ−→(9)案内板(行き止まり曲輪)→ −→案内板(滝山公園解説) (5) 案内板(滝山公園解説)−→信濃屋敷−→刑部屋敷−→カゾノ屋敷−→ −→(15)案内板(木橋/引き橋)−→(8)案内板(二の丸)−→大馬出−→ −→二の丸−→南馬出−→千畳敷近くへ−→駐車場 ************************************** ● アクセス 車の場合 中央道八王子ICから国道16号を拝島方面へ、左入交差点を左折し国道411号(滝山街道)へ 駐車場(午前8時から午後6時まで) (地図に記載) (1)で案内しています。 バスの場合 京王八王子駅・JR八王子駅北口から 戸吹行き・秋川駅行き・戸吹スポーツ公園入口行き 「滝山城址下」下車、徒歩約15分 近くに 八王子城跡1・・片倉城跡公園・・高尾山・・小仏城山・・景信山・・陣馬山・・今熊山 があります。 (八王子市産業振興部観光課HPを参考にしました) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |