(1)石碑「夕焼の鐘」 |
(2)山門→本堂 |
(3)観音堂→鐘楼 |
● 曹洞宗 補陀山 観栖寺 曹洞宗 補陀山 観栖寺 ご本尊は釈迦如来像で、大永年間(1521~1527年)に開山したと伝えられています。 仏教の世界観では南方海の果てに有る補陀落山が観音浄土とされ 、観栖寺の山号である補陀山 とはここから来ています。 八王子三十三観音の第二番目札所。 午年には一般公開する「御開帳」が行われます。 当寺古伝 四世規外智範和尚 本尊厨子等に録して曰う(平成5,2焼失) 当地に応仁年中既に草庵堂舎存 せしこと明白なりと(応仁2年 1468年) 十九世祖伝哲苗和尚 新鐘を鋳するに勧募して曰う(天保12年1841年)当寺鐘楼文明年間造立 寛政の風災に倒壊、その龍頭を土中に得たりと(文明1469~1486年)古記に言う。 心源二世(実開山及天応院等開山)天叟順孝禅師(天文3没 1534年)退隠して当地山 北に庵を営み傳通庵と称すと。 美山の古話に伝う。心源四世 独峯山を開き先徳の遺光を巽に望み畏旭と共に乾より拝すとして 寺を乾畏と名づけ、補陀峯に香を献ずとか。 里伝に言う。往昔、夜中「葦ケ澤」に異光を伴って飛来するものあり。里人等翌朝怪しみ求む。 千手千眼観音像等を得て祀ると(応仁前 京師鎌倉乱れ、流離して八王子に寄留する貴人多く、 その持佛なるか) 慶安3年 家光公 朱印文書に曰う「先規にならい」八石一斗観音堂領として寄附す」 (以後の11通は「」の中の文言を欠く)(慶安3年、1650年) 当寺過去帳に載せて曰う、当地開闢は大年法椿禅師(洞山正宗第三十七世 天文2年没世寿75) と、終に心源七世 天永琳達禅師先哲、順孝和尚の遺跡を惜慕、堂舎を新たにし寺を観栖と名づ くと、旧位牌堂の順弥壇は古堂の再開にして北条鱗二個を打ちし物なりき、平成9年5月 先位十 七回忌に三十六世 一乗記 ![]() ![]() 夕やけ小やけのお寺として有名です。 近くの 宮尾神社・・興慶寺・・宝生寺 も有名です。 (左/山門)・・・(中/本堂)・・・(右/観音堂) ![]() ![]() ![]() (左/鐘楼)・・・(中/石碑「夕やけの鐘」表)・・・(中/石碑「夕やけの鐘」裏)・・・(右/永代供養墓) ![]() ![]() ![]() ![]() ● 案内コース (1) 入口-→広い駐車場-→石碑「夕焼の鐘」-→石碑「当寺古伝」-→六地蔵尊 (2) 山門-→本堂-→社務所 (3) ハス池-→観音堂-→鐘楼-→お地蔵様-→永代供養墓 (アクセス) JR中央線「高尾駅北口」 西東京バス「霊園01」「霊園02」で「タウン中央バス停」下車、徒歩約3分です。 近くの 八王子城跡・・滝山城跡・・片倉城跡・・高幡不動尊・・宮尾神社 夕やけ小やけふれあいの里・・興慶寺・・永林寺・・高尾駒木野庭園・・宝生寺 高尾山・・小仏城山・・景信山・・陣馬山・・今熊山・・多摩森林科学園 を載せてあります。 (観栖寺のHPを参考にしました) (画像をクリックすると大きくなります) ● (ホームへ) ● |